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ビロホロードカ()はウクライナ・キエフ州キエフ=スヴァトーシノ地区(en)の村()である〔〕。かつてはベルゴロドと呼ばれていた。 ==歴史== ===古代・中世=== 現在のビロホロードカ地域には古代から人々が居住していた。晩期トリポリエ文化の集落(紀元前3000年)、青銅器時代の埋葬地(紀元前2000-1000年)、ザルビンツィ文化の食器(紀元前2世紀-2世紀)が発見されている。7世紀から9世紀にはスラヴ人の居住地があった。 991年、ウラジーミル1世によって、ベルゴロド(ビロホロードカの当時の名称。)の増築・移住が行われた〔國本哲男『ロシア原初年代記』135頁〕。ベルゴロドはウラジーミルの愛した土地であり、また300人の妾が置かれていた〔國本哲男『ロシア原初年代記』93頁〕。従士団(ドルジーナ)の駐屯地であり、著名なウラジーミルの饗宴(ru)が行われた地でもあった。997年にはペチェネグ族の包囲を受けた〔國本哲男『ロシア原初年代記』141-143頁〕。 12世紀からキエフ公国の一部となった。通常、キエフ大公の親族が分与を受けるか、あるいは直轄地として統治されていた。1159年と1161年にイジャスラフ3世とポロヴェツ族の連合軍に包囲され、1171年にはアンドレイ・ボゴリュブスキー(ru)の軍に包囲された。(なお3回とも、スモレンスク公国の、リューリク朝の家系に連なる者が防衛を指揮し、包囲戦に勝利している。) ベルゴロドは極めて繁栄していたが、1240年、モンゴルのルーシ侵攻の際に完全に破壊された。幾らかの時期を経て街は復興し、1360年代にリトアニア大公国の傘下に入った。ビロホロードカと呼ばれ始めるのはこの時以降のことである。初めはキエフ城(ru)の管轄下に属し、1560年からリトアニア大公の所領となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビロホロードカ (キエフ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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